Amazing story.最高の物語

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ご訪問いただきありがとうございます。

いらっしゃいませ。

今日は

私の人生を

「最高の物語」として

お送りします。

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母子家庭で育ててくれた

母を楽にさせるため

そんな

私たちを心配する

周りの人たちを安心させるため

中学3年だった私は

手に職がついて

すぐに働けそうな

工業高校受験という選択をした。

そして

高校受験の際は

塾には全く通わず

私立高校の学費等負担が大きいので

公立高校一本で勝負した。

そういえば

中学時代で思い出したことがある・・・

「キャプテン翼」という

サッカー漫画が2年前から流行し

一大サッカーブームとなった。

野球が大好きだった私は

野球部に入りたかったが

ただ一点

坊主にするのが「本当に」嫌だった。

野球<坊主だったので

野球することをあきらめた。

それじゃあということで

坊主ではなさそうな

ソフトボール部に入ろうとしたところ

「不良が多いからやめておきなさい」

と先生に言われ

その次に候補となったのが

大流行の

サッカー部だった。

「キャプテン翼」を知る人なら

大空翼くん

日向小次郎くん

岬太郎くん・・・

みんな髪が長いので

きっと、坊主ではないだろう・・・

また

周りの先輩を見ても

髪の短い人がいないので

きっと、坊主ではないだろう・・・と思った。

しかしながら

新入生は

「坊主」

という暗黙のルールが

あったのである。

私はすでに

入部すると決めた後だったので

後戻りもできず

「本当に」嫌だった

坊主にすることとなった。

数日後

5厘刈りという

約2mmの長さになった私は

変わり果てた姿を見せたくないので

散髪の翌日

帽子を深く被って登校し

教室の中でも

帽子を脱げなかった過去を思い出した。

私にとっては

人生2度目の

「まさか」であった。

結局のところ

「本当に」嫌だった坊主になったというお話でした。

話は変わり当時

私たちにお金がなかったエピソードを・・・

サッカーをするためには

サッカーシューズが必要でしたが

母は知り合いの人から

譲ってもらったサッカーシューズを

持って帰ってきてくれたのである。

母から渡されたシューズは

私の足の大きさが

24.5cmに対して

26.5cm。

大きすぎてブカブカだった。

加えて

大きなコンプレックスだったのが

「ブランドが不明」だったこと。

他の人と違うことがとても嫌で恥ずかしかった。

そんな

母の名言は

「うちはうち、よそはよそ」

でした。

私は

お金がないという母の状況を

ひしひしと感じていたので

いただいたシューズを

履きこなすことができませんでしたが

3年間使い続けました。

そんな母のすごいところは

私たち(兄弟)に

お金がないと思わせることが全くなかった。

正しく伝えるなら

お金がないと「思わせない」けど

お金がないと「感じること」ができた。

母は

ずっと働き続けてきたけど

私たちに弱音を吐くとか

お金がないと「思わせる」ことはなかった。

その一つとして

月に1度は

高そうなお寿司屋さんに

私たちを連れて行ってくれた。

でも

お金がないことを「感じていた」私は

ある時から

お寿司屋さんに行くことを断って

1人、家でご飯を食べていた。

そんな

人生のほとんどを

お金のことで苦しんできた母を

「最高の人生」

そして

「最高の物語」

に導くことを決めたので

退職を決意した。

昭和19年に沖縄で生まれ

壮絶な地上戦のなか

生き延びてきた母

そして

母を守ってくれた親族への感謝。

私を生んでくれた母への感謝。

命を与えてくれた母への感謝。

ここまで育ててきてくれた母への感謝。

恩返し、恩送りの準備は上々!

やることは行動あるのみ!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

最高の人生。

今日も感謝。


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