「私自身のこと」と「加藤諦三さん」

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訪問いただきありがとうございます。

いらっしゃいませ。

前回、前々回と2回にわたって

「1988.10.19」川崎決戦。

をお伝えしました。

今回も

昭和にさかのぼり

「私自身のこと」について

お伝えしたいと思います。

私は

昭和45(1970)年10月に生まれ

約30年間を

大阪市東成(ひがしなり)区という場所で

過ごしました。

東成区が

大阪のどのあたりにあるか伝える場合

「大阪城の近く」と伝えていました。

私の父は香川県出身

母は沖縄県出身で

若くして大阪(心斎橋のボーリング場)で出会い結婚しました。

しかし

私が小学校1年生の時

好き放題していた父に嫌気がさし

離婚をしました。

事情を何も知らないまま私は

離婚の際

「お父さんとお母さんのところどっちに行く」

と言われ

「お母さん」と言ったことを鮮明に覚えています。

私は

「離婚」したという事実を

中学校卒業までの9年間

誰にも伝えることができませんでした。

なぜ

伝えることができなかったか。

当時(昭和50年代)

父と母が別れたという話を

私の周りで全く聞くことがなかった。

イコール

「普通の人は離婚しない」と思っていました。

心のなかで私は

「普通の人とは違う状況(離婚)」に対して

「恥ずかしいこと」という気持ちを持っていました。

そんな気持ちだったことから

「離婚」したという事実を

誰にも伝えることができませんでした。

恥ずかしいという思いに

心が支配されていた私は

中学校卒業までの9年間

話の辻褄を合わし続けました。

友達に父のことを伝える時は

離婚していることを悟られないよう

「(大阪の)ミナミで仕事をしている」

「たまに父と会っている」と

辻褄が合うように言っていました。

「半分本当」で

「半分うそ」をつきながら過ごしてきました。

友達にうそをつき続けてきた私は

9年間

後ろめたい気持ちで過ごしました。

私は

高校生になる時に

「離婚という事実を絶対話そう」と決めていました。

事実を伝えることができた理由は

中学校までの友達が全て

「リセット」されるからです。

9年間

嘘をつき続けていた自分に対する

心のモヤモヤが晴れた瞬間でもありました。

高校を卒業して就職した私は

20代になり

自分自身が嫌(自己嫌悪)に陥りました。

精神的な問題で病院に行くことが

恥ずかしいと思った私は

自分自身と向き合うため

多くの本を読みました。

この時

私の心を救ってくれたのが

加藤諦三(かとうたいぞう)さん」の書籍でした。

自分自身と向き合った結果・・・

長く私は

普通の人を装うため

人と合わせること(八方美人)をして

自分の気持ち(心)を犠牲にしてきた。

イコール

誰にも嫌われないよう

表面的な付き合いをしていた。

その結果

友達はたくさんいたけど

うそをついてきた自分に対し

なんでも話せる親友と呼べる人は1人もいなかった。

正しくは

親友を作ることができなかった。

「自分軸」ではなく

「他人軸」で生きてきたのです。

過去と向き合ったことで

自分自身を深く知ることができた私は

これからどうすれば良いかという

道標を知ることができました。

私の心を救ってくれた

「加藤諦三さん」

直接お会いして

感謝の気持ちをお伝えしたいです。

お会いしたいと伝えたので

「絶対そうなります」

「私自身のこと」と

「加藤諦三さん」のお話でした。

ちょっぴり恥ずかしい過去の話でしたが

「本当の自分で生きること」

「自分らしく生きること」を教わりました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

最高の人生。

今日も感謝。


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