「1988.10.19」川崎決戦。

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訪問いただきありがとうございます。

いらっしゃいませ。

前回のブログは

「今日、誰のために生きる?」でした。

一番大切なことは

「自分のために生きる」こと。

「そらそうよ」(by阪神岡田監督)と

ご本人に言われている感じです。

「人のため」にしてあげるのは

自分の心が満たされて

あふれ出すくらいの時。

そのために

「自分らしく生きていきましょう!」

今回は

私の人生の財産となった

「1988.10.19」川崎決戦です。

「1988」とは、昭和最後の年となる

1988(昭和63)年。

「10.19」は

10月19日のことを示しています。

今から

35年前の出来事となります。

決して

川崎で決闘があった訳ではありません。

「1988.10.19」に

パ・リーグの優勝チームが決まる大一番

「ロッテオリオンズ」対「近鉄バファローズ」の試合が

川崎球場で行われました。

この大一番は

人間の

「喜怒哀楽」全てが凝縮された

「ドラマでも書くことのできない」

まさに

「筋書きのない試合(ドラマ)」でした。

今回

ブログを書くきっかけをくれたのが

X(旧ツイッター)の投稿でした。

私をフォローしてくれた方が

「1988.10.19」の特集番組(ラジオ)を

投稿していたので

京都からの帰り

電車の中で番組を聞きました。

試合の流れは十二分にわかっているのに

35年前の記憶が鮮明になるたび

何度も何度も涙が溢れ出します。

50代の男が電車で涙することなんて

まず見ることないでしょう。

私は

誰かに見られないかと気にしながら

ラジオに聞き入りました。

当時私は

高校3年生(18歳)で

中間テストが行われている最中の出来事でした。

中間テストの最中でしたが

テスト勉強の予定を変更(中止)して

プロ野球中継に

「釘付けの1日」となりました。

なぜ

「釘付けの1日」となったか。

それは

1日に2試合が行われる

「ダブルヘッダー」だったからです。

第1試合は

15時から始まりましたが

第2試合が終わったのは

22時50分くらいでした。

この2試合(ダブルヘッダー)は

「7時間33分の攻防」と評されています。

私は

中間テストが午前中で終わったことから

15時からの試合を

生中継で見たり聞いたりすることができました。

今思えば

人生の財産となる試合を生中継で味わえたのは

「運命」だったと思います。

テスト勉強を中止したのも

「運命」ということで。

私が大好きだった

「近鉄バファローズ」というチーム。

あまり強くありませんでした。

どちかと言えば弱いチームでした。

人気は全くありませんでした。

スタンドはいつもガラガラでした。

男性ファンばかりでした。

ファンといえば、おっさんばかりでした。

日生球場は暗い、汚い、(おっさん)臭い、球場狭いの「4K」でした。

チームが弱いので「ヤジ」がえげつなかったです。

でも、たまに笑わせてくれる「ヤジ」が大好きでした。

さすが、笑いのセンスがある大阪人です。

そんな

「近鉄バファローズ」というチームには

「人間味」や「泥臭さ」

「人情味」や「庶民さ」という

素晴らしい魅力がありました。

私は

そんなチームの沼(魅力)に

どっぷりハマってしまいました。

「近鉄バファローズ」は

「勝てそうなのに勝てない」

「勝てそうなのに負けてしまう」

「負ける時はあっさりと負ける」

「負けそうなのに勝ってしまう」

「喜怒哀楽」全てが備わった

人生最高のチームでした。

「1988.10.19」川崎決戦。

と書いておきながら

ほとんど触れることができませんでした。

「こらー、詐欺やー」って

思わないでください。

今回は

15時試合開始までをお伝えしました。

15時からの

「筋書きのない試合(ドラマ)」は

次回以降に持ち越しいたします。

今回は

「決戦前編」ということで。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

最高の人生。

今日も感謝。


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