訪問いただきありがとうございます。
いらっしゃいませ。
前回は
アサヒビールシルバースターの岩波選手をご紹介しました。
スポーツつながりでいきたいと思います。
今回の投稿で
51投稿目となりました。
私の中で「51」といえば
イチロー選手です。
イチロー選手は「振り子打法」と言われる
独特のバッティングホームと
素晴らしい守備力(特に強肩)で
私たちを魅了し
プロ野球、メジャーリーグでNo.1の選手となりました。
そんなイチロー選手ですが
オリックスブルーウェーブ(現在のオリックス・バファローズ)に
入団して数年は
独特のバッティングホーム(個性)が
首脳陣に受け入れられず
1軍と2軍を行き来していました。
そんな
イチロー選手の転機は
オリックスの監督が
私が尊敬する
「仰木(おおぎ)監督」に変わったことでした。
仰木監督は
選手の特徴を活かし、試合ごとに選手や打順を変える
「猫の目(日替わり)打線」を機能させました。
そして
結果が全てのプロ野球界において
阪神淡路大震災のあった
1995(平成7)年にリーグ優勝
そして
翌1996(平成8)年には
オリックスを球団初の日本一にしました。
そんな仰木監督の采配は
「仰木マジック」と名付けられ
今も語り継がれています。
ちなみに
「猫の目」とは
移り変わりの激しことをたとえていう言葉です(by ChatGPT)
私が応援する
オリックス・バファローズの中嶋監督は
現役時代
仰木監督と選手という関係でした。
選手として、仰木監督を間近で見てきた
中嶋監督は
「仰木マジック」の継承者として
「猫の目(日替わり)打線」で
3年連続のリーグ制覇。
また
2022(令和4)年には
オリックスを26年ぶりの日本一にするなど
その采配は
「ナカジマジック」と言われています。
私が尊敬する仰木監督については
最も印象が強い方なので
後日じっくり、書いていこうと思います。
話をイチロー選手に戻します。
イチロー選手を開花させたのは
「首脳陣の見る目」です。
1994(平成6)年
仰木監督の名参謀である
中西太ヘッドコーチと
新井宏昌打撃コーチという
素晴らしい方と出会ったことも
才能が開花した大きな理由だと思います。
ちなみに
私の名前は「太」です。
「中西太さんのような豪快な人になれ」という思いで
父が名付けてくれました。
また
新井宏昌さんの娘(貴子)さんは
笑わない漢(おとこ)で有名なラグビー選手
稲垣啓太選手とご結婚されました。
雑学コーナーでした。
話をイチロー選手に戻します。
仰木監督は就任後
鈴木一郎という本名を
「イチロー」という名前で売り出しました。
(「パンチ」(佐藤)選手も同時に売り出しました)
パ・リーグという
人気のないリーグを盛り上げるためでもあったと思います。
話題作りには欠かせない方でした。
仰木監督は就任前から
先見の明(将来の出来事を予測し、理解する能力)で
イチロー選手が活躍すると感じていたのでしょう。
また
コーチ陣も
イチロー選手の最大の特徴(振り子打法)を活かし
練習に付き合ってきたことが
1994(平成6)年に達成した
1シーズン210安打という大記録につながったと思います。
イチロー選手の活躍については
私が語らなくても知ることができますので
ご興味があれば、YouTubeなどでぜひ。
「首脳陣の見る目」を会社に例えると
「経営陣や管理職(上司)の見る目」になります。
従業員(社員)を活かすも殺すも
「経営陣や管理職(上司)の見る目」です。
最近
「上司ガチャ(ガチャ)」という言葉が流行っています。
部下は上司を選べません。
経営陣や管理職(上司)によって
花を咲かせることもできるし
花を枯らしてしまうかも知れません。
私は前の職場で
花を咲かせてあげることができませんでした。
なので
これからは
このブログなどを通して
できるだけ多くの人を笑顔で明るく元気にしていけるよう
人生の楽しさや感謝の気持ちを伝えていきたいと思います。
今すぐできることは
今日から実践しましょう!
「笑顔と感謝の輪!(¥0)」
「明るく・楽しく・元気よく(¥0)」
「いつやるの「今」でしょ!」(by林修先生)
「明日やろうはバカやろう!」(今はもう昔の言葉)
イチロー選手と
「首脳陣の見る目」の話でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
最高の人生。
今日も感謝。
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